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“Mr.Bojangles”という歌
〜ビル・ロビンソンという人〜


ご存じない方もおられるかと思いますが、数多い名曲の中に
“Mr.Bojangles”という名曲があります。
元は作者J.J.ウォーカーというカントリーシンガーの実話を
元にして作られた歌(お話し)。

ニューオリンズでの下積み時代、カフェで気になる女の子の
気を引こうとして悪ふざけしたところ御用となり、
一晩留置所で過ごした時に出会ったのがこの題名でもある
“Mr.Bojangles”という老人です。
歌詞ではこうつづっています。

ボージャングルさんは皆の為に踊るような人だった
擦り切れた靴でね
白髪とぼろぼろのシャツとだぶだぶのズボン
古いタップダンスの靴
           ( 中略 )
おじさんは言った「安い酒場で機会があれば踊ってるよ」
飲み代やチップ目当てさ
でも、ほとんど群の留置所にいるけどね
ちょっと飲みすぎるんだよ


何とも疲れ果てて物悲しい歌詞のようですが、歌詞の中での
Bojanglesは決して悲観的ではなく、そんな人生も楽しんでる
ようです。

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話は変わりまして1920年代に実在した名タップダンサー
Bill “Bojangles” Robinson (ビル “ボージャングル” ロビンソン)
をご紹介します。
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1878年5月25日に生まれた彼は6歳でタップダンスを始め、
7歳でダンスの為に学校を辞め、様々なカンパニーで巡業をし
ナイトクラブやブロードウェイで成功を収めるまでになりました。
まだ人種差別があった時代。
当時ハーレムにあった高級なコットンクラブでは有名な
黒人アーティスト達を集め、白人プロデューサーによる上流の
白人の為のショーに彼は出演。タップの名士として人気を博し、
その後ハーレムの名誉市長やメジャーリーグ『New York Giants』
のマスコットにもなりました。

ただ彼は根っからのギャンブル好きで贅沢な暮らしをして
いました。
故郷のリッチモンドでは信号のない道で渡れない子供を見て
信号を作るよう資金提供をしたり、黒人だけの野球チームの
資金を提供したりなどして、彼が亡くなる時には無一文だった
そうです。
葬儀はテレビの名司会者エド・サリバンが費用を負担し、
ハーレムからブルックリンまで埋葬車が進むブロードウェイの道は
50万人を超える人々が沿道を埋め尽くしたそうです。

尚、ビル “Bojangles” ロビンソンの生まれた5月25日は
アメリカでは「National Tap Dance Day」と制定されました。

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前述した歌“Mr.Bojangles”を“Bill “Mr.Bojangles” Robinson”と
同一人物と混同する方が多いそうですが、実は別人物。
歌が作られた頃のニューオリンズの留置所では白人と黒人は
別の部屋だったそうです。作者J.J.ウォーカーは白人だったので
黒人に会うことはなかったそうです。

かのサミー・デイビスJr.にとってビル・ロビンソンはTAPダンスの
師匠だったそうです。Bojanglesという名前と生き様を重ね合わせ
ていたのか、サミーはこの歌をこよなく愛していました。
サミー・デイビスJr.生誕60周年式典で歌われた“Mr.Bojangles”は
そんな特別な思いが込められていたのか、
とてもスペシャルでした。






2018・12・4 更新

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